2013.4.18 UP

ソフトパワーでまちを育てる

山崎 基康

Yamazaki Motoyasu

text&photo Taiyo Furukawa

冒頭からこんなことを言うと誇大的に捕われるかもしれないが、あえて最初に言うと、彼の発想力は福岡のポジティブな未来像を描くのであれば不可欠かもしれない。少なくとも著者は彼を約一年間 追い続け、プロジェクトに一緒に関わりそう感じている。

2014年3月。福岡市内の一等地とも呼ばれる、天神と隣接するまち「大名」の入り口にある大名小学校が少子化に伴い廃校が決定した。そこで山崎基康氏が立ち上げたのが『KEYS FOR KEYプロジェクト』という、大名小校舎の廃校活用に向けて福岡市へ提言していくプロジェクトだ。福岡市への招待状の提出日は2013年4月18日。それまで多くの市民からの賛成意見が本格始動してから僅か半年で集まった。それは卒業生だけでなく、地元の方々、サラリーマンや主婦、学生、若者、メディア…様々な環境の人たちが、これからの福岡を想い、行動に起こし、それが数として現れた。
今回はその中心となった山崎基康氏の人物像に迫り、彼の見つめる福岡を垣間見た。


2013年4月18日に福岡市へと提出した「招待状」。招待状と呼ぶのには市役所と市民が同じテーブルについて廃校活用を話し合いたいというコミュニケーションによる未来づくりの提案を行っている。大名小学校プロジェクトについては後述に記載。
2013年4月18日に福岡市へと提出した招待状。今回は提言書を「招待状」とあえて呼んでいる。意図としては市役所と市民が同じテーブルについて廃校活用を話し合いたい、つまりコミュニケーションによる未来づくりの提案を考えているため。大名小学校については後文に記載。
ー大名小学校の廃校活用プロジェクトを始める前は何をしていたのでしょうか?
本来は志賀島を地域文化圏として育成するプロジェクトを数名で運営していて、
それと並行して「KEYS FOR KEYプロジェクト」を立ち上げました。どちらも特性は違うけど、自分なりに魅力に感じる共通点があって、それで両方やってみようと。あと大名地区の住人は4000人位なのですが、大名という土地柄その人たちだけの問題じゃないなと思いましたし、このまま何もしないと本当に学校がなくなり風営法で守られてきたまちの風景が無くなってしまうと危機感を覚えたことが動くきっかけになりましたね。
ー最初は志賀島の文化育成から活動を始めていたんですね。ちなみに、大名と志賀島の共通点といえばどんなところですか?
この2つのまちは潜在的にパワーのあるまちだと感じているんです。大名は流行を発信している店もあれば何代も続いているお店があったりとローカルな一面もある。また志賀島は島内で自治ができるんじゃないかと思うくらいの特有の文化を持つ場所だと感じていて、そういった街ならではの特徴、いわゆる"ソフトパワー”があるまちが僕にとって魅力に映るんです。その場所から地域文化圏を作っていきたいと考えてます。
ーなるほど。ちなみに"ソフトパワー”というのは、どういう意味なのでしょうか?
政治学者の方が唱えたものなのですが、対義語としてはハードパワーというのがあって、例えば戦争になると何人殺したがハードパワーの場合は評価になるけど、ソフトパワーの場合は何人味方につけたかが評価になる。共感を力にすることをソフトパワーと呼ぶんです。

 

ー山崎さんは何故、ソフトパワーを活かした地域文化圏の育成をやろうと思ったのですか?
地域文化圏を作ろうと思ったのは、前職の設計事務所を辞めて中国や東南アジア、インドを旅したことがきっかけです。
自分は建築設計という場所にとどまる仕事をやってたんですが、その時から街では情報化社会とかクラウドやノマドとか、場所に縛られないデジタルな状態が存在していて。建築って今の時代と違う方向なのかと気になったんですよね。けれど旅をしていたら、地域に根を下ろすということは基本的に「文化」があるというとなんじゃないのかなって思い初めて。むしろ物や人が縛られない時代だからこそ逆に「文化」というものが注目されていくのかなと感じ始めたんですよね。土着的っていうんですか。そこに価値があるんじゃないかなって思ったんです。
また旅先で2つの衝撃を受けたこともきっかけになりました。下関から船に乗って渡ったんですが、現金はほとんど持たず旅費は半年で20万円くらい。完全なるバックパッカーでした。
その頃から日本のことは大好きで、日本のものづくりってすごいって、例えばトヨタとか、そう思って旅に出たんですけど、インドに行ったときに、タタモータスという35万円の車を見たときに衝撃を受けたんですよね。車って特殊が技術が必要で特殊な国でしか作れないものだと思ったけどそうじゃないんだ、と気づかされたときに日本人が今まで得意としていたものづくりというのは特別じゃないんだな、そして改めて地方の可能性を感じたんです。
また同時にアニメの偉大さを知ったんです。中国人と話したときに彼がカタコトの日本語で「オラの名前は●●だ」って自己紹介してて。「なんで自分のこと、オラって言うの?」って聞いたら、ドラゴンボールが現地で放送されていてそこで日本語を覚えていて。それで日本の文化ってすごんだなと実感したんですよね。日本のアニメが盛り上がったのは負の時代と呼ばれる、バブルが崩壊した10年後なんですよね。経済的にはマイナス成長のときにアニメの文化が育った。だから経済的じゃないところの新しい尺度が必要だなと感じたんです。

 

ーちなみに、アーティストにはなろうと思わなかったんですか?
その時ソフトパワーを感じたのはアニメですけどその前には歌舞伎や浮世絵とか歴史があって。海外の人はそれも認知していているんですよね。僕は、物を自分で作るというよりその背景が気になったんです。ちなみに歌舞伎や浮世絵が生まれた時代は江戸時代で藩で分かれていて、それが文化の多様性に繋がって、藩と藩、文化と文化がぶつかり合うことで面白い文化が生まれたんじゃないかなと思っているんです。
けれど現代では、例えば、「博多駅」という駅に名前があっても、駅の名前を「広島駅」とか別の地名に変えても違和感ないような同じような街並みになっていますよね。でも海外では空港(タラップ)を降りた瞬間、目に入る文字や街の風景が全く違って、それが違う文化圏に入ったインパクトだと思うんですが、日本はそれがなくて、でも以前はあったと思うんですよね。他県で全く違うインパクト。それを地域にある文化を呼び起こして作っていきたい。文化は守るだけでなく作られていってもいるのでそれも育てていきたいんです。
ちなみに…海外に行ったときにみんな「東京」「京都」ばかり名前があがっていて、それだけじゃないぞ!福岡もあるぞ!という気持ちになったのもきっかけのひとつでもありますね(笑)。だってそれぞれに文化が存在しているはずなのに、東京の名前が上げらればかりなのも面白くないじゃないですか(笑)。
ー福岡人ですもんね。では地域文化圏の育成をしようと決めたとき、なぜ福岡の中で志賀島を第一号として選んだんですか?
もともと以前から関西の大学の友人が来たときに志賀島に連れていってベイサイドとか案内していたんですけど、地域文化圏をいざ意識した時に志賀島でいこうと考えたんです。
志賀島は橋で繋がっているけど島じゃないですか。それって例えるなら小さい日本だなって思っていて。
日本のように、完全に確立されたものではなくて情報や人や物も移動出来るし小さいスケールだけど物が動いている感じが日本と海外との位置関係に近い気がした。それがきっかけですね。
橋を渡った先に見える志賀島。イベントや海水浴で多くの人で賑わうが、奥の方では漁業を生業とした地元の方々が生活している。
橋を渡った先に見える志賀島。イベントや海水浴で多くの人で賑わうが、奥の方では漁業を生業とした地元の方々が生活している。
志賀島の集会所で開催した「GENE」。エコエナジーをテーマに食塩水と電線で電気を生成させている。
志賀島の集会所で開催した「GENE」。エコエナジーをテーマに食塩水と電線で電気を生成させている。
3回目の実験で成功
3回目の実験で成功

 

志賀島では実際どのような活動をしていましたか?
「GENE(ジーン)」というイベントを開催して、集会所に島外の人たちを集めて、食塩水や電線を使って電気を実際に自分たちで作って電球を光らせたり、「朝市」と言って漁師さんが穫ってきた魚を島の市場で購入して、魚をおろして朝ごはんを食べるイベントを実施しました。
ー外の人が志賀島に興味を持ってくれているということ。地域文化圏を育てるというつながりは?
志賀島の人たちは「なければ作ればいい」という感覚はあたり前にあるんです。漁業を営んでいる人も多いから、網とか壊れるじゃないですか。そのときに自分で直したり作ったりする技術ももっているんですよ。「半漁半工」というんですかね。
そのもともとある意識からものづくりをすれば必然的に外の人からみれば興味を惹かれると思う。
それが「電気を作る」に繋がりました。電気は自分たちから遠い存在になってしまったので、いざ作るということで忘れてしまった「作る」という見えなくなっていた選択肢を見えるようにしたんです。人が作り出すというものだから、見えている選択肢で方向性は変わるはずなんです。
また、朝市は漁師さんが自ら魚を売るんですが、目の前に漁師さんがいるのに買いにくるだけなんですよね。食の原点みたいな人がいるのに話を聞かずに還るのはもったいない。なので漁師さんとの交流を通じて島のくらしが垣間見えるようなイベント、ということで魚をさばくイベントを実施したんです。
ーなるほど。それで外の人と地元の人の交流を持って、その土地に愛着も持ってもらうことによってまちづくりにも繋がるんですね。
ー大名小学校の廃校活用プロジェクトについてはどのような活動をしたんですか?
KEYS FOR KEYプロジェクトではまずホームページを立ち上げて、そこから説明会を開いて有志のメンバーを募りました。そしてワークショップを中心としたイベントを11回開催しそこで大名小の廃校について考えたり、自分が大名小の未来の鍵となる、というイメージで過去の鍵を市民の方々から寄与して貰ったり、Facebookでいいね!を押してもらったり、廃校後の活用アイデアをホームページから投稿して頂きました。その活動内容をまとめ、大名小学校の保存活用の必要性や廃校活用後の基本方針を一冊の「招待状」として福岡市役所に提出しました。
2014年の廃校に伴い、廃校後の校舎活用を福岡市へ提案するプロジェクト「KEYS FOR KEY」は約半年でFacebookページも1025人を突破し、数多くのメディアにも取り上げられた。
2014年の廃校に伴い、廃校後の校舎活用を福岡市へ提案するプロジェクト「KEYS FOR KEY」は約半年でFacebookページも1025人を突破し、数多くのメディアにも取り上げられた。
オープンな空間で渡すことにこだわり、福岡市西側ふれあい広場にて、高島市長と福岡市教育委員会教育長宛に招待状を手渡した。
オープンな空間で渡すことにこだわり、福岡市西側ふれあい広場にて、高島市長と福岡市教育委員会教育長宛に招待状を手渡した。
ー提言書を渡してどんな気持ちでしたか?
達成感はあります。一見プロジェクトの内容は分かりづらいんです。どういう施設にしたい、じゃなくて校舎の保存活用に向けてのプロセスに焦点を当ててるから、その分、周囲からもつつかれた。でもそれをじっと我慢してアウトプットのための準備をすすめてきて、それが今回ちゃんと形になったなって思ってます。
ー大名小プロジェクトを現時点で振り返って、どう思いますか?
地元で実際動ける人、実行部隊に浸透させていくのが課題です。また他の動きもあっても面白いと思います。色んなやり方があって盛り上げていければいいと思うんですよね。
ー素朴な疑問ですが、大名小学校も志賀島も、地元ではないですよね。地元の人にはどうやって理解してもらったんですか?
普段僕は、短パンで素足にサンダル、という格好なんですね。志賀島も真冬に短パンで行ったんです。地元の人から見ると外の人はすぐ外の人だってすぐ分かるんですよね。で、その人から声をかけられると警戒しちゃう。けれど短パンをはくとその人たちから「兄ちゃん寒くないね?」と話しかけられるんです。そうすると最初の警戒がなくなってて、自分からも話しかけられやすくなる。
大名と志賀島とも方法論は同じでした。地域に入って行く時は何をすれば良いか、いきなり本題ではだめで、夏祭りを手伝ったり地道なところから始めていきました。そこで地元の話を聞いてあげていくうちに向こうから「兄ちゃん、良く来るけど・・・」と話を聞いて来たりするんですよね。地域はどういう仕組みでできているのかは話を聞いているうちに見えてくるものなんです。
とはいえ、怒鳴られた時もありましたけどね。どれだけ本気なのか相手は分からないのは当然だと思うんです。だから、時間をかけて信頼関係を作っていくことが大切。だから、まだまだ途中なんです。
ープロセスの途中では紆余曲折あると思いますが、そのポテンシャルを保っているのは何ですか?
先を見ていると人に言われたことはあります。1年2年後ではなくその先を見てるからこの段階が必要だと認識しているのが大きいのかもしれません。例えば、志賀島だと漁師の平均年齢63歳で10年後には73歳。さすがに船にのるのが厳しくなる。大名小も何もしないと学校がなくなる。別の地域でなくなった後のまちにラブホテルができている風景を実際に見ているので、自分の好きなまちがそうなると嫌だなという気持ちでやっています。
プレゼンイベント「ペチャクチャナイト」で大名小学校の廃校について話している様子。リスナーの関心は高く、プレゼンが終わった後、彼の周囲に人が集まった。
プレゼンイベント「ペチャクチャナイト」で大名小学校の廃校について話している様子。リスナーの関心は高く、プレゼンが終わった後、彼の周囲に人が集まった。
ー今後の活動状況を教えてください。
大名小は活用に向けて、地域との連携の準備をしていくと思います。また、この招待状をきっかけにまたメンバーが集まって新しい顔が増えたらいいなと望んでます。
志賀島では島の人たちと外部の人たちが空間や時間を共にできるような場を設けていきたいと思いますね。漁師さんの文化を体験したり、島でしか出会えない魚料理もあったりするので、そういうもともとあるものを島外の人に知ってもらえるプロセス作りを考えています。

ー山崎さんから見て、将来的にどういう福岡になる?なってほしい?

難しいですね(笑)。正直、答えははみえてません。ただ、そのやり方が良いのかは分からないですが、もっと福岡は細分化してもいいと思う。今は「福岡イコール福岡市」が一般的なっているけど、色んな地元色があって分かれていけばいいんじゃないでしょうか。
ーご自身のターニングポイントを教えてください。
ボクは以前、めんどくさいが口癖でめんどくさいことはやってこなかったんです。
体育祭とか出ずに帰ってました。でもそれでボクは「自分で何かをしないといけない環境に身をおきたいな」と思って一人インドにいったんですよ。
下関のターミナルを歩いていたときですら、まだ戻れるのになと思ってた位、後ろ髪を引かれていたのですが、そこで衝撃を受けたので今の自分がいます。
また、インドは北はガンジス川やタージマハルがあって観光慣れしていて、ぎらついている印象があって正直きつかったんです。ただそこから南の方に下ったらとても楽しかった。
きつい思いをした後に楽しさがあったのが今の自分につながったのかな?って思うときもありますね。
ーありがとうございました。最後に、福岡のお気に入りスポットを教えてください。
特にないんです。強いて言えば「月」ですね。そこでみんなが夢想する感じが良い。日本の文化の「月を見て餅をくう」って自然感情が良いなって思うんですよね。十五夜のおまんじゅうって子供が食べちゃうんですが、それを神様がたべたという解釈を昔の人はしていたんです。そう言った趣のある感じがいい。それと比べると、今の現代人は進化をしたのか退化をしたのか分からないことがありますね。だから日本のソフトパワーは海外ではなく、日本人に日本を教えることが必要なのかもしれません。失った感情を日本人が日本人に価値を提供することにこそ価値があるのかもしれませんね。

文頭にも記載したが、著者は彼を1年間追い続けた。その理由としては福岡というまちに対して夢を抱いた者がどう実現していくのか、そのプロセスをこの目で見届けたかったからである。しかし時間が経つに連れて気がついたのが、彼は夢を見ているというよりあたかも既に未来が見えているような図面がはっきりと自分の中であるのだ。普段は口べただと仕切りに言うが、きっと声に出すまでに多くのシュミレーションを頭の中で繰り広げているのだろう。そうしてその想いをぶれることなく伝えていく。もちろん、短パンに裸足で。

素直な気持ちが、どんな立場も柔和にしてくれる。
 どうぞ、彼の未来のスケールモデルを直接会って確かめてほしい。きっとまちが楽しくなる。

 

■Profile

山崎 基康(やまざきもとやす)

1984年10月22日生まれ  福岡市東区出身、在住

 

神戸芸術工科大学卒業後、建築デザイン会社に就職し、九州圏の病院や学校の公共建築に関わる。

建築の背景にある人々の文化や生活に注目した彼は、フリーに転身。志賀島の地域文化圏の育成や大名小学校の廃校活用のKEYS FOR KEY(キーズフォーキー)の代表を務める。

2013年4月18日、高島市長と福岡市教育委員会教育長宛に政策提言書(招待状)を提出した。

KEYS FOR KEYホームページ:http://keysforkey.net

※写真は2012年7月、第一回目インタビュー時に撮影したもの

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